ごあいさつ

私は、昭和36年8月19日、新潟市東区山木戸に、父・豊島豊秀、母・豊島キヌの長男として生まれました。普通のサラリーマン家庭で育ち、地元の小学校、中学校、高校に学びました。東京の大学に入学し、卒業後すぐに地元の企業であります、株式会社栗山米菓へ入社して、主に営業畑で勤務し29年間勤めさせて頂きました。ということで、政治に特に縁があったわけではありません。

その中でこのたび政治の世界を目指したのには2つ理由があります。

ひとつは、栗山米菓で携わらせて頂いた仕事で、「ご当地ばかうけ(東京限定、北海道限定、信州限定などのお土産ばかうけ)」の企画、販売ルート開拓の業務がありました。約10年間させて頂きました。

新潟生まれの「ばかうけ」を全国の人たちに知って頂き、その土地ならではの味付けにしてお客様に喜んで頂く。そのためには現地に赴いてその観光地を体感し、その名物の味を確認して商品化に生かす、という行動が必要になります。その行動を積み重ねて、北海道から沖縄までほぼ全国の味で製品化できました。ただ、その業務の中で感じたのは、地元・新潟の観光はもっともっと他県にアピールできるのではないか、ということでした。 

もうひとつは、「人は何のために生きるのか」を50歳を迎えるころになんとなく考えるようになりました。

そしていきついたことは、不完全ではありますが、「自分の身につけた能力や経験できたことを、世のため、人のために少しでも役立てること」と思うようになり、自分にとって世のため人のためになることとは、「生み育ててくれた新潟に恩返しすること。それは、多くの人が新潟で働くことができ、安心して暮らすことができる街にすること。」と思うようになり、これは生み育ててくれた両親に恩返しするのと同じことと思うようになりました。

人生はたった一度しかないことにも今更ながら気づき、せっかく気づいたのであれば、何か目に見える形で実践していきたいと思うようになりました。

「多くの人が新潟で働くことができ、安心して暮らすことができる街にする」には、当然のことながら原資が必要です。私自身は様々な意味において有効かつ、より早く実現できる方法として、新潟の観光アピールをもっと活性化すること、と思います。

県内外の多くの方が楽しめ、喜んでお金を使って頂けることを、本気になって考え、実行していく力が必要と思います。

今までのサラリーマン生活、特に営業畑からの経験で、「売上を最大にして、経費を最小にする」という発想にたった政策をすすめていく、もしくは同じ考えにある方たちと力をあわせて実現していきたいと思います。

その結果が、「新潟市が、日本一住みたい街になること」と信じて、信念をもって皆様のためになる仕事を、一生懸命、喜んでさせて頂きたいと思います。皆様の応援を頂けますことを、心からお願い申し上げます。

水の都の船たまり

佐渡汽船

水鏡

日本海の荒波

古き良き芸の継承

人情横町の浜焼き

地酒

米菓王国(せんべい盛)